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駄知町は、日本の中央にある岐阜県の東側、土岐市の中にあります。 土岐市は伝統ある美濃焼の産地で、日本の陶器生産量第1位を誇る焼き物の街です。 駄知町も数々の陶器を生産しています。 昔は美濃路のポイントとして多くの武将・武士が足を止めた伝統ある土地なのです。 山と清流に囲まれた駄知町は景色も素晴らしく空気も新鮮です。 是非みなさんも、駄知町にお寄りください。 そしてこの地で栄えた数多くの美濃焼に触れ、温泉で羽を伸ばして自然を満喫してください。 |
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どんぶり、割烹食器など |
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昭和6年 9月25日 駄知陶磁器工業協同組合 設立昭和11年 陶土釉薬工場を南山に移転 昭和21年 すり鉢、生盛、丼類の生産逐次再開へ 昭和22年 4月 陶祖祭、陶磁器品評会始める 昭和23年 駄知初のトンネル窯を東濃陶器に導入 昭和25年 一部の窯で単独窯の重油全焼成試験始まる 昭和29年 美濃原産地大見本市開催 昭和30年 2月1日 土岐市誕生 昭和33年 駄知陶工青年会 昭和38年 シャットルキルンの築炉始まる 昭和53年 美濃焼が伝統工芸品に指定 駄知町は土岐市の中央南東部に位置し、東濃丘陵地帯の低い丘に囲まれた一盆地である。そして、瑞浪市、曽木町、妻木町、下石町、肥田町を境としている。面積は11,446平方キロ、東西3.93キロ南北3.8キロあります。 駄知町の名前が記録として出て来るのは、今のところ、文亀2年(1502年)4月13日付の土岐明智瀬尚所領譲状に「譲渡 美濃国土岐郡内妻木村、駄笠原村智村、細町」とあり次に慶長年間(1596年〜1615年)の慶長郷牒に「だち野村、331石」とあり、1500年はじめには駄知にも人が住んでいたのです。 美濃大窯前期(1400年後半より1500年前半)の窯跡がだちから見つかることから古くから窯を焼いた町であることが分かる。そして、水野、加藤、塚本の三家の開窯に関する古文書があります。 しかし、次の中期以降の大窯の窯跡はまだ見つかっておらず1550年から1610年位の間は窯を焼いていないようだ。そして、登り窯の時代になり、登り窯前期(1610年より1650年)に該当する窯跡と思われるものが駄知には二ヶ所あり、そしてそこから長石釉をほどこしてよく焼けた志野織部の小皿や、総織部と御深井の摺絵(すりえ)の文様のついた折れ縁中皿が出土している。 登り窯中期(1650年から1750年)には、御深井釉のもの、錆釉と塗り分けのもの、そして、鉄釉に灰釉を流した茶壷などを焼いていた。 登り窯後期(1750年から1870年)には窯跡が駄知では、たくさん見付かっていて、幕末になるほど数が多くなっているようです。 そして焼いていたものは御深井釉のものでは摺絵手法のものが消え、壁皿が現れ、鉄釉では漆黒釉のものが現れ、その上に長石釉を飛ばしたものもあり、また、錆釉のみの物もある。そして、駄知土瓶が作られたのもこの時期である。 |
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稚児岩は高さ長さともに約18メートル。 肥田川の渓谷に横たわります。 {土岐市駅から東鉄バスで20分} 水面から66メートルの高さに、白を基調とした稚児岩大橋が架かります。 近くの展望台からの景色も絶景です。 {土岐市駅から車で15分} どんぶり会館は、美濃焼のアンテナショップとしての機能の他、展示コーナーや作陶教室などのアミューズメント機能も取り入れた魅力ある施設です。 すりばち館(すりばちの歴史などが良くわかります。) |
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