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肥田は愛知県境に源を発する肥田川と、眼前を流れる土岐川、緑多き中央丘陵に囲まれた豊かな大地に恵まれ、永い歴史の中で培われて来た伝統や生活習慣を継承しようとする気風と、新天地を求めて先駆けする進取的な精神の、相反するものを内包している町です。 我が組合にもその気風と精神とがあふれていると思います。 |
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肥田は、中世においては土岐氏本宗の居館としての浅野館を始め、武士達の本居地として知られた土地であり、近世は岩村藩と旗本妻木領に属し周辺地に置かれましたが、下街道の整備により、商品や人馬の往来が盛んになり、肥田人の柔軟性、流暢性、時代を先どりする気風がこの頃培われたものと思われます。 近世末に窯業の芽生えはあったようですが、窯株、蔵元制度が廃止されて自由な生産、販売ができるようになって窯業が本格化しました。 戦前は土岐津陶磁器工業組合皿部を組織していた肥田地区業者は昭和22年5月6日肥田陶磁器工業協同組合を設立しました。 |
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湯肥田は銅版による転写印刷技術法などの技術や発電機、電力などの動力をいちはやく導入し、機械ろくろ、足踏みろくろによる成形、地形や集落立地、燃料などから石炭窯の転換に成功して、利用度が高く需要の多い三五皿の量産という選択をして伸びてきました。 戦後は重油窯、トラックやシャットル窯、トンネル窯、真空土練機、自動ろくろなどや協業化など新生産体制を導入し、質の高い、あらゆる陶磁器製品を産出する近代的窯業の町になっています。 |
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